おじいちゃんとおばあちゃんは地方都市に住んでいる。東京から合計3時間くらいで行けるところ。2018年の年末年始は妻の実家で過ごすことになったので、年末のちょっと前のタイミングで有給を使って2泊3日過ごしてきた。忘れないうちにどこかに残しておきたく、この場を使う。
おじいちゃんおばあちゃんはけっこう弱っていた。
- 免許を取った翌日にいっしょに運転して遠くまで行ったおじいちゃんは、今では車を手放してシニアカーに乗っている
- おもてなしが好きで、いつも孫の好物を用意していたおじいちゃんは、今ではコンビニに行くのもつらい
- パソコン教室に通って、イベントがあるごとにエクセルにまとめていたおじいちゃんは、今では排尿、体重、腹囲の記録をつけている
- 日本酒が大好きで朝から飲んでいたおじいちゃんは、今では毎月送られてくる安い焼酎を飲んでいる
- 2階で過ごしていたおじいちゃんは、腰も足も痛いからそろそろ1階に移動しようかなと言ってい
- 料理が好きでいろんな料理をつくってくれたおばあちゃんは、今ではインスタントやレトルトばかりつくっている
- なんでも気を回して掃除・洗濯をやっていたおばあちゃんは、今では「これやって」と言うようになった
- 本やドラマが大好きで、録画をためたり図書館に通っていたおばあちゃんは、たまに行く本屋で厳選した本だけ買うようになった。たくさんあっても疲れるらしい
- 卓球で自分を負かしていたおばあちゃんは、リハビリの施設に行くと安心すると言うようになった。自分と同じような人がいて安心するらしい
- おしゃべりが好きだったおばあちゃんは、同じ家の中にいるのにおじいちゃんとほとんど会話がないから、ボケないようにスルメを噛んでるらしい
それでも中身は昔のおじいちゃんおばあちゃん
自分が来れば喜んで、来てくれてありがとうと言ってくれる
妊娠中の妻を気遣ったり、従兄弟も含めた他の孫の心配をしていたりする
結婚式の写真を何度も見返している
自分はもうすぐ30になる歳。時間を取って20代を振り返ってみたけど、いろんなことがあったし、客観的に見ても自分は成長したんだろうと思う。
ただ、確実に時間は経っていて、おじいちゃんおばあちゃんや、両親、そしてもちろん自分も歳をとっている。
ひ孫ができるという話をしている時に、おじいちゃんが「輪廻転生を感じるようになった」と言っていた。
どういう意味での発言か、今でもしっかりとはわからないけど、なんとなく次の世代に自分の持っているものを託してきた実感がこもっていた気がする。
「良いお年を」と言って出てきた時、なんとも言えない寂しさを感じた。見送ってくれていたおじいちゃんとおばあちゃんの顔は、昔のままだったような気がする。いつか絶対に来てしまう別れの日までに、できるだけ多くの会話がしたいし、ひ孫になる自分の子どもとも、できるだけ長い時間を過ごしてほしいと、病院の案内ばかりの駅のホームの広告を見ながら感じた。
諸行無常の人生の中、支えてくれている人への感謝を忘れずに、2018年を締めて、2019年に向かいたい。
帰りの新戦線の車内で書いた。
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